代表に会った人の証言
こんな人だったよ


信頼できる代表
いつも人を励まし、相手のために一生懸命になる人。話し初めてたら、あなたも一瞬で彼の魅力に 引き込まれます。そして他でもない「 あなた自身の魅力と可能性にも気づかされ、自分も頑張りたい!」と強く感じるようになるはずです。上司よりも、友だちよりも1番頼りになるのが「 TOEFL®勉強会代表,:ささきっち(愛称) 」です。



















































園部あつし(現・会社経営者)勉強会入会時、慶應義塾大学3年

ましてやもっと大きくしろ、と言われたときは驚きもありましたが嬉しかったです。一生足を向けて寝ることのできない師匠のような存在ですね。僕は、社会で波に流されず自分のやりたいことを果たすためには『良い大人に会うこと』が必須だと思っています。これから様々な師匠に会うことになると思いますが、その最初の方が佐々木さんであることを誇りに思います。いつか僕が大物になったときにその感謝を伝えることがなによりの恩返しだと思っています。いつまでも若々しく、健康に気を付け(重要)、たくさんの夢を追う人の背中を押す存在でい続けてくださることを願っています。
三戸たくみ(青年海外協力隊|JICA|ロンドン大学大学院 )

さそうあんり( 防衛大学 )

中西ともや( 東京大学大学院|博士課程 )

今だに世界を行ったり来たりしてる人らしい
代表。TOEFL勉強会の会費は全て寄付している実業家です。


***** ***** ***** ***** ***** ***** ***** ***
【大学1年】 夏、新学期が始まってもギリシャ留まっていたため、帰国した時には両親から留守電メッセージ40件以上。外務省に「捜索願」を出す手前だった。また、韓国では格安ホテルだと勘違いし、ラブホ(Love Hotel)に1週間滞在。今思えば、なぜ泊まり客に覚えたての韓国語で挨拶をしても冷たく無視されたのか分かる。 オランダ/アムステルダム滞在中では、財布をなくしたと訴えるドイツ人にお金を貸したものの結局ダマされ約60,000円持って行かれた。 タイ/バンコクでは、たまたま道を聞いた子のところに勝手にホームステイ。食事もベッドも用意され、帰り際にはお土産もいただいた。
【大学2年】 夏、ニューヨークから帰国後、留守電にインドにヨガの修行に出かけた友達から、「おまえも来い☆」という謎のメッセージが残っており、それだけを頼りに翌週にはインド行きを決定。結局は友達に会えず、お腹を壊して帰ってきただけだった。海外旅行は無茶し放題。。

【学生時代】 学生時代4年間、育英会学生寮で生活。突飛な行動のため、寮監督には入寮当時から目をつけられる。良き先輩に可愛がられ、優秀な後輩に恵まれた素晴らしい環境だった。 大学の成績は、1年次は学校が大嫌いで「たったの10単位」しか取得せず。その後3年間、姿勢を改め卒業までに180単位取得。在学中、留学生会館で国際交流化ヴォランティア。外国人がいる環境で暴れる。 大学卒業後、福島県会津若松市へ。 超・ド貧乏時代 (一週間「柿」だけを食べた時もある。) この1年を通し学問の姿勢を学ぶ。貧しかったけど、とても充実感を感じる毎日。当時、家庭教師先が大きな栄養補給源だった。そのご家庭には今でも良くしていただいています★ 笑。のち、アメリカ合衆国大学院に入学。

***** ***** ***** ***** ***** ***** ***** ***
【アメリカ大学院 留学時代】 アメリカ生活が始ると同時に、すぐ「 運転免許 」を取得。1ヵ月後には、初心者マークを付けたまま【 アメリカ縦断の旅 】に出かける。 しかし帰りの道、時速140kmを15時間以上続け疲労のため、横転という大事故を起す。 病院へ運ばれ頭を縫ったが奇跡的に軽症ですんだ。 車は。。完全大破。。( ;∀;) 大学院2年次・冬、アメリカ横断を決行。同年春、アメリカ最南端、フロリダ州キーウェストに到達。夏、アメリカ東海岸&カナダにチャレンジ。2度のアメリカ横断を成功させ、現在までに

【大学院生活】 アメリカ大学院生活は、誕生日や大学の始まりや終わりなどに大型パーティーを主催。120名規模の時は、駐車場スペースがなくなり、さらには警察が警備巡回にやってきた。当時「Party Boy」と呼ばれる。 大学院在学より、TOEFL勉強会開催。季節休暇はミネソタ大学語学部で日本語を教える。大学ん卒業後はボストンに移り不動産業界でインターンに従事。またボストンにて「日米語学交流会」を主催。
アメリカ合衆国 大学院卒

誕生日のお祝い(Birthday Part)


いつもWAKUWAKUしている少年です♪
